理事長ブログ
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やさしさにつつまれて
2025-03-26


津崎記念日に寄せて 2025.2.17
2025-02-25
17回「津崎記念日」によせて
先人から学ぶ
津崎稔様(津崎能子様夫)が法務省にお勤めの時、同じ法務省で愛甲原住宅にお住いの林新三郎様が法務省の職員のニュースに寄稿した文
私の親友津崎稔さんは、遂に昭和59年4月5日この世を去った。・・・・
津崎さんは頭脳明晰で雄弁、表現力に富み、会議などの時、その発言は重きをなしていた。
又、酒を好んだが酒に呑まれることはなく、酔って他人に礼を失する様なことは決してなかった。或る人は彼を礼節の人と評し、又、或る人は彼を信念の人と評していたが、・・・故に彼は上司や同僚、部下からの信頼が厚かったのである。
・・・・・津崎さんは役所を辞めた後にも、その真価を遺憾なく発揮して、地域住民から感謝と尊敬を集めている事柄がある。
それは昭和48年4月、彼が推されて愛甲原住宅会長に就任し、2期2年間に成し遂げた成果である。愛甲原住宅自治会は、国家公務員共済組合連合会が神奈川県伊勢原市と厚木市に跨り造成した、(昭和40年造成、分譲開始41年、自治会結成43年)960戸の集団であるが、当時この地域内には、連合会所有に属する公園予定地や、半端な土地が残っていて、荒れるが儘に放置されていた。・・直ちに連合会に交渉して、この土地を伊勢原、厚木両市に寄附してもらい、更に両市を説得して、この空地に児童遊園その他の施設をさせることに成功した。その後・・・児童館の建設や、60基の防犯灯及び主要道路にガードレール取り付けを実現させたのである。・・終わり
新たな年となりました
2025-01-06
師走となりました。
2024-12-03
会いたいな
2020-08-11
会いたいな
デイ愛甲原は2003年に開所した。
当時の利用者様は戦争体験の方々で様々な体験談をお話ししてくださいました。
・朝鮮の日本統治時代、朝鮮で学校の先生をしていた。今も当時の朝鮮(今は韓国)の生徒から手紙が送られてくるんですよ。
・僕は南京大虐殺といわれているその場にいた。今、言われていることとは違うんだ・・
そして、ときどき戦争中の子どもたちが唄った歌を唄ってくださった。
・私は満州でソ連軍が攻めてきた時に聞いた女性たちのかなしみの声や悲鳴が耳から離れない。
・特攻隊で出撃する準備をしていたが終戦を迎えた・・ などなど
その中で1915年大正4年生まれT様
「僕はね『涙そうそう』が胸に染み入る。戦時中シベリアに抑留され日本に帰還したら息子が空襲で亡くなっていた。
その時、女房を責めたんだ。涙そうそうは・・」
私はデイ愛甲原を開所してから多くの方から歴史体験を耳にしてきた。
この8月7日 今年度まちづくりに寄与してくださる東京工芸大学の学生さん3名
風の丘に立ち寄り利用者様に庭からご挨拶
今、風の丘の入居者様はお孫さん,お子さんなどご家族になかなか会いにくい。
学生さん達もお爺ちゃん お祖母ちゃんに会えるかな・・
会いたいな 涙そうそう・・
感謝申し上げます。
2020-07-20
応援の気持ち 心より感謝申し上げます。
◎産業能率大学 三浦ゼミの皆様
新型コロナウイルスの為、風の丘入居様とご家族の面会が困難になっている中、下記2点の応援をいただきました。
・ ご利用者様と家族を繋ぐ「風の丘通信」の原稿作成
・ 風の丘や高齢の皆様にむけた健康体操の動画作成←このHPのトップに動画をあげています。
◎ 特別定額給付金を複数の方から寄付を頂きました。
◎ それぞれの立場で心を寄せて下さっている地域の皆様から 応援の気持ちを頂いています。
皆様ありがとうございます。 心に染み入ります。
川上 道子
★ 当法人で行いましたウイルス対策研修の様子です。
『ありがとう』 『有難うございます』
2020-05-27
有料老人ホームがある風の丘は5月の連休 訪問のお医者様や訪問看護が手薄になった。
その状況の中で、風の丘入居の90歳を超えられているA様が体調を崩され急性期病院にお連れした。そのまま入院。
その後、病院から遠くにお住いのご家族のもとに療養型病院に転院なさってはとの提案があった。
ご家族もご本人も熟慮され、最終的に風の丘に暮らされることを選んで下さった。
昨日、退院され風の丘に戻られた時は、眠りの中にいたA様。
今朝お会いした時、そばにいた施設長に、
A様涙を浮かべ「ありがとう」と手を差し出し、互いに握手をした。「ありがとうございます」
住み慣れた町・なじみの人・信頼できる人と最後まで暮らし続けたいのよ。
が胸に響いた。
その状況の中で、風の丘入居の90歳を超えられているA様が体調を崩され急性期病院にお連れした。そのまま入院。
その後、病院から遠くにお住いのご家族のもとに療養型病院に転院なさってはとの提案があった。
ご家族もご本人も熟慮され、最終的に風の丘に暮らされることを選んで下さった。
昨日、退院され風の丘に戻られた時は、眠りの中にいたA様。
今朝お会いした時、そばにいた施設長に、
A様涙を浮かべ「ありがとう」と手を差し出し、互いに握手をした。「ありがとうございます」
住み慣れた町・なじみの人・信頼できる人と最後まで暮らし続けたいのよ。
が胸に響いた。
マスクリレー
2020-04-14
A様からマスク届きました。職員と地域の方々で使わせていただいています。