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理事長ブログ

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自分という形が丁寧に自由に生きられる

2021-07-28
自分という形が丁寧に自由に生きられる
五味太郎の「自分という形が丁寧に生きられる」の言葉を
デイ愛甲原の利用者様にお渡しした。
 ・・数日後
 
「自分という形が丁寧に自由に生きられる」
私にとって「自由」も大切なの。
 デイ愛甲原に来るとホッとするわ
と言っていただける。
 
またデイ愛甲原利用者様家族から
母が「落ち着いていられる場所」
と言ってます。
と有難い お言葉。
 
皆様の願いに最善を尽くしたい。
同じ時間・同じ場で。 百合の命 をデッサン  読書家・・読書しながら皆様の作品を。
50色鉛筆で自分の世界
ぐんとまっすぐ太陽に向かって

感謝の気持ちを込めて

2021-06-04

平石秀夫様

1周忌に感謝の気持ちを込めて



みんなは

意思・哲学を持っているから

それを侵害してはいけません

 

大勢生きていることは

つまるところ

助け合って生きていくこと。

 

平成29年3月17日

平石談



            この言葉は、風の丘とCoCoてらすに飾られている。

 



平石さんと川上との出会いは約27年前。

伊勢原市内に住む岩崎尊之氏(現、社会福祉法人緑友会理事長)から

「高齢化が進んでいる高森台で町づくりの勉強会をしませんか。」と声がかかり、メンバーとして初めに頭に浮かんだのが平石さん。

当時、私は青少年指導員などで高森台自治会の会議に出席した折、自治会長(1994年・1995年)だった平石さん知った。その時紳士的に対応してくださったという印象が残った。

そこで自治会長を終えられていた平石さんにお声をかけ、1998年、何人かの仲間と共に「高森台福祉のまちづくり勉強会」が始めることが出来ました。

その後

2001年高森台ミニサロンの会

2003年デイ愛甲原開所

2006年風の丘建設     等、様々な場面で尽力いただきました。

昨年の5月、入院先の東海大学病院から「風の丘に帰りたい」と戻ってこられたが、

2020年6月1日風の丘で命を閉じられた。

 穏やかな最期の中で、やさしく「ありがとう」と言ってくださった。

 『誠実』…平石さんの生き方を私の道しるべにしたいと思っています。

「こちらこそ本当にありがとうございました。」

 

津崎記念日 2021.2.17

2021-02-19

2021年2月17日 津崎記念日

 

「信頼できる人と最後まで暮らしたいの」

 

この言葉は私を導く光です。

そして、この光が世界中に届くことを願います。

 

『津崎能子様の言葉の記録』から

「信頼してこそ自分の幸せが在る。」そして今の幸せがある。

「遠くの親戚より近くの他人が今の私には必要なのか、わかって頂戴」

「夫が私に言わせた気がする。」

「私はただ自分の幸せを考えてた。周りの人にいい事をしていたと分かった。」

「一軒のうちに人が居てくれることが嬉しい。」

「一人で暮らすには 誰かに手伝われては駄目になる。」

「相手を励ましていることは、自分を励ましている」

  • 抜粋

 

時代は進み 愛甲原近隣にも大きなサービス付き高齢者施設

特別養護老人ホーム・老健などが次々を建っている。

 

50年前、愛甲原住宅の初代住民は寄付と住民力で町の形を創り、

その後、住民と「まちづくり勉強会」・「近隣大学」などで町づくり

住民主体で町づくりと両輪でミニサロン・デイ愛甲原・風の丘を創り出してきた。

今年度もコロナ禍、

東京工芸大学学生さんが考えた

心を繋ぐプログラムを展開。

 

今、これから何が必要か。。。

 

町づくりをしながら考えていきたい。

 

       

やさしさに包まれて ・・・ 寄り添う仲間に感謝

2020-11-04
先日、キャリアを積んできた職員から
「改めて思いますが、ここのスタッフはいいですね。利用者様を身内のように介護する。」と
感想を伝えられた。
 
先月から小規模多機能型居宅介護風の丘をご利用されているA様は礼儀正しく思いやりのある方。
まだ通い始めて日が浅い為か、「なぜ私はここのいるの・・」と悲しい表情をされる時がある。
そのような時、どの職員もA様に寄り添う。
ある日、A様が「私はここにお世話になっていいの・・」と事務所にお出でになった。
事務職員は笑顔で「大丈夫ですよ。。ご心配なく。。」と答えた。
そして、その様子を見ていらっしゃったご利用者様もA様の心情を汲みながら
「ここにいれば大丈夫☆」と優しく声をかけてくださった。
それぞれが思いやりをもってA様の気持ちに寄り添う。
そのような様子を見かける度、私まで慰められる。
丁寧に時間をかけ、書き上げられた作品。
水彩画 デイ愛甲原作品
風の丘の様子
塗り絵 風の丘作品

会いたいな

2020-08-11
会いたいな                                
 
デイ愛甲原は2003年に開所した。
 
当時の利用者様は戦争体験の方々で様々な体験談をお話ししてくださいました。
 
・朝鮮の日本統治時代、朝鮮で学校の先生をしていた。今も当時の朝鮮(今は韓国)の生徒から手紙が送られてくるんですよ。
 
・僕は南京大虐殺といわれているその場にいた。今、言われていることとは違うんだ・・
 そして、ときどき戦争中の子どもたちが唄った歌を唄ってくださった。
 
・私は満州でソ連軍が攻めてきた時に聞いた女性たちのかなしみの声や悲鳴が耳から離れない。
 
・特攻隊で出撃する準備をしていたが終戦を迎えた・・ などなど
 
その中で1915年大正4年生まれT様
「僕はね『涙そうそう』が胸に染み入る。戦時中シベリアに抑留され日本に帰還したら息子が空襲で亡くなっていた。
その時、女房を責めたんだ。涙そうそうは・・」
 
私はデイ愛甲原を開所してから多くの方から歴史体験を耳にしてきた。
 
この8月7日 今年度まちづくりに寄与してくださる東京工芸大学の学生さん3名
風の丘に立ち寄り利用者様に庭からご挨拶 
今、風の丘の入居者様はお孫さん,お子さんなどご家族になかなか会いにくい。
学生さん達もお爺ちゃん お祖母ちゃんに会えるかな・・
会いたいな 涙そうそう・・
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