理事長ブログ
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感動 2026.5.5
出演者 (愛甲原住宅在住)
・米山尚子(音楽家・米山亭=地域楽団 風の丘職員)
・Uご夫妻
U・Y (米山亭=地域ボランティアなど活躍中)
U・A(米山亭=地域音楽団・朗読家 )
※米山亭とは地域で生まれた音楽集団
風の丘で コンサートに参加皆様(約20名)
その中で愛甲原住宅在住の皆様11名
演奏が始まる♪
・屋根より高い鯉のぼり♪♪
・甍の波も♪♪・・
そして朗読
☆この空気感☆
自宅でじっくり探求した☆
・愛に包まれている
・魂の深いところから喜びが溢れていた
・魂の喜び
・護られている・・
米山様は日頃より寄り添ってくださる方
Uご夫妻 愛甲原住宅の方
なじみの方
生きる力 希望 喜びに包まれた時間でした。
尚子様がそばにいて
U・A様の明快で明るい声の朗読
ご夫妻の一体感 ハーモニー
住み慣れた町で最期まで暮らしたい
遠くの親戚より近くの他人
上記の言葉を思い出した☆ 風の丘を導いてくださいました津崎能子様が私に伝えてくださった言葉が思い浮かんだ☆
2025年度振り返る 縁は最強の生きる力・希望・喜び

画面の向こうから「絵里ちゃん?!」
画面左側に写る高齢女性
28年ほど前から、福祉の町づくり勉強会・
ミニサロン・デイ愛甲原・風の丘を伴に創り上げてきたI様。現在は故郷 新潟県長岡にある介護施設に暮らされている。
その施設で
「年に一度あなたの願いを叶えます。」という企画があり、
I様「風の丘に皆さんに会いたい♡」と言ってくださり、実現した。
画面右には施設長・地域の友人達
そして
今年も先人達の願いを引き継ぎます。
愛のまちフェス2025
住み慣れた町で信頼できる人と最期まで暮らし続けたいの 感動の2話
4月14日 愛甲原住宅隣の北高森にある高森神社の例大祭 神輿渡御 山車巡回で愛甲原住宅そして風の丘の前でも子供たちが太鼓をたたき お囃子を♡
毎年の巡回
CoCoてらすのカラオケで
☆昨日 CoCoてらす カラオケ
参加者:北高森に住む90代男性K様
そこへ 初めてカラオケに参加される女性A様、目の前のK様に出会い☆
「あらKさん、歌をうたわれるのですね♪?!」
次にB様 先着のお二人とは顔見知り。
そして 風の丘から利用者H様とそのお嬢さん。
風の丘に暮らされているE様がお出でになった。
♡E様 しばらくお嬢さんの住む東京に越されていたが
「やっぱり住み慣れた町で暮らしたいの」
と先日から風の丘で暮らし始められた。
全員が長くなじみの方々。
たのしく ワッハッハ♪
2024年 津崎記念日
2024年2月17日 津崎記念日
百万本のバラ の唄が好き♪
「百万本のバラ」がヒットしていた頃
柔らかな日差しの中(津崎さん宅)で
津崎能子様が私に「百万本の唄が好き」と仰った。
その時の姿が今も鮮明によみがえる。
時は過ぎ・・2月17日開催した津崎記念日報告を考えてた時。。。。
テレビから「百万本のバラ」の唄が流れてきた。。
2月23日 BS NHK
“百万本のバラ”はどこから そして どこへ~加藤登紀子
・加藤登紀子ジョージアの記録から一部抜粋・・
百万本のバラはバルト3国のラトビアで悲しい子守歌として生まれ、その後、ロシア語の歌詞がつけられ、旧ソ連で大ヒットしたラブソング。
加藤さんは自ら日本語に訳し、40年近く歌い続けてきた。国を越えて人の心をつなぐ歌と思ってきたが、いま、「“百万本のバラ”はロシアの歌だから歌えない」という声が高まっている。「私はこの歌の何を知っていたのだろう」。
加藤さんは、モチーフとなったジョージアの放浪画家の絵、作詞した旧ソ連の反体制の詩人の足跡などを辿りながら、自らを見つめ直す。
満州で生まれた加藤さんが二歳の時に引き揚げ、二十二歳で歌手になり、やがてこの曲と出会う・・
※ジョージアは東と西の文化の交差点。何千年も戦いが頻発する場所
津崎夫妻は第2次世界大戦時、中国に赴任。敗戦後、中国・韓国の人々に支えられながら帰国した。とよく話して下さった。
能子様は「百万本のバラ」の生まれた背景を承知されていただろうか。。
「住み慣れた町で 信頼できる人と 最後まで暮らしたいの。」
が胸にしみいる。
























