理事長ブログ
2024年 津崎記念日
2024-02-27
2024年2月17日 津崎記念日
百万本のバラ の唄が好き♪
「百万本のバラ」がヒットしていた頃
柔らかな日差しの中(津崎さん宅)で
津崎能子様が私に「百万本の唄が好き」と仰った。
その時の姿が今も鮮明によみがえる。
時は過ぎ・・2月17日開催した津崎記念日報告を考えてた時。。。。
テレビから「百万本のバラ」の唄が流れてきた。。
2月23日 BS NHK
“百万本のバラ”はどこから そして どこへ~加藤登紀子
・加藤登紀子ジョージアの記録から一部抜粋・・
百万本のバラはバルト3国のラトビアで悲しい子守歌として生まれ、その後、ロシア語の歌詞がつけられ、旧ソ連で大ヒットしたラブソング。
加藤さんは自ら日本語に訳し、40年近く歌い続けてきた。国を越えて人の心をつなぐ歌と思ってきたが、いま、「“百万本のバラ”はロシアの歌だから歌えない」という声が高まっている。「私はこの歌の何を知っていたのだろう」。
加藤さんは、モチーフとなったジョージアの放浪画家の絵、作詞した旧ソ連の反体制の詩人の足跡などを辿りながら、自らを見つめ直す。
満州で生まれた加藤さんが二歳の時に引き揚げ、二十二歳で歌手になり、やがてこの曲と出会う・・
※ジョージアは東と西の文化の交差点。何千年も戦いが頻発する場所
津崎夫妻は第2次世界大戦時、中国に赴任。敗戦後、中国・韓国の人々に支えられながら帰国した。とよく話して下さった。
能子様は「百万本のバラ」の生まれた背景を承知されていただろうか。。
「住み慣れた町で 信頼できる人と 最後まで暮らしたいの。」
が胸にしみいる。