理事長ブログ
理事長のブログ
昨年夏、湘北短期大学教授大橋寿美子先生が1冊の本を下さった。「和MODERN」発行人 三浦祐成 発行所 新建新聞社
その本に大橋先生の文献も載っている。
地域でつながる -地域の中に居場所を持つ
「家族」の関係性から選択する住まい・地域へ
CoCoてらし隊の活動が写真で紹介されていた。
「和MODERN」には家庭でのダイニングテーブルの役割の重要性について書かれていた。
なるほど・・
地域のダイニングテーブルを目指す「CoCoてらす」
地域のダイニングテーブルを目指す「CoCoてらす」
地域の皆様が顔を合わせることが出来るダイニングテーブルを地域の真ん中に据える。
めざすは 住み慣れた町 馴染みの関係で最期まで暮らせる町・仕組み。
今年も作り続けます。
私が地域にこだわる理由
2015-08-17
私が地域にこだわる理由
デイ愛甲原が出来た時
地域の自治会長経験者、老人会会長経験者など
多くの町づくりをされてきた方が、介護が必要となった時
応援する気持ちを持って利用者となり、デイ愛甲原を盛り立てて下さった。
地域の自治会長経験者、老人会会長経験者など
多くの町づくりをされてきた方が、介護が必要となった時
応援する気持ちを持って利用者となり、デイ愛甲原を盛り立てて下さった。
風の丘ケア付きハウス完成時、全6室に地域の方5室が入居
風の丘ケア付きハウス8室増設時には、7室が地域の方々。
風の丘ケア付きハウス8室増設時には、7室が地域の方々。
お一人お一人、入居するには、かなりのストレス。
風の丘暮らし始めの不安な日、そこに顔見知りの地域の方々に出合う。あの
風の丘暮らし始めの不安な日、そこに顔見知りの地域の方々に出合う。あの
人もこの人も。自然と支え合う。
その後、入居されてきた地域方も、風の丘に住んでいる皆様に出合い、ほっとした笑顔が広がる。
しかし、地域でなく、馴染みの人が少ない方は
入居されしばらく不安で辛そうな様子が見て取れる。
入居されしばらく不安で辛そうな様子が見て取れる。
私は小学2年生の時、伊勢湾台風で自宅が軒下まで水につかった。
復興期間、家族と離れ、集団疎開をした。それまで名前も聞いたことのない自宅から遠く離れた小学校の体育館で過ごした。悲しみ・不安の中で時が過ぎた。子ども心と違うと思うが、その時の気持ちと重なる。
復興期間、家族と離れ、集団疎開をした。それまで名前も聞いたことのない自宅から遠く離れた小学校の体育館で過ごした。悲しみ・不安の中で時が過ぎた。子ども心と違うと思うが、その時の気持ちと重なる。
風の丘の土地の提供者 津崎さんご夫妻は町づくりに寄与された。
奥様の能子さんが一人暮らしとなり、暮らしに自信が持てなくなった時
奥様の能子さんが一人暮らしとなり、暮らしに自信が持てなくなった時
「遠くの親戚より 近くの他人」
「この地で信頼できる人と最期まで暮らしたい」
と願った。
だから私は地域にこだわる。
「この地で信頼できる人と最期まで暮らしたい」
と願った。
だから私は地域にこだわる。
願わくば、住み慣れた町が最期まで暮らせる仕組みを持つ町でありたい。
写真は地域のメンバーで構成する「CoCoいきましょ会」の方々。
町の中心CoCoてらす前の花壇をコミュニティスペースとして整備している様子。
町の中心CoCoてらす前の花壇をコミュニティスペースとして整備している様子。
汗を流し、力を合わせる。
かけがえのない大切な町となる。
かけがえのない大切な町となる。
「支えあい宣言を実行する会」活動はじめます
2015-06-02
「支えあい宣言を実行する会」活動はじめます。
まえがき
昨年12月21日、同居の姑(99歳と半年)が息を引き取った。「CoCoてらす」で改正される介護保険とどのように向き合うのかと地域に住む専門家に教授頂いて夕方自宅に戻った。1番に姑が休むベッドに向かい「ただいま。」と声を掛けた。もう息はなかった。
その姑、35年前、同居する時、「この町の暮らし方ルール」を私に教育をした。
その姑、35年前、同居する時、「この町の暮らし方ルール」を私に教育をした。
1、 隣近所に上り込んでお茶のみをしてはいけません。
2、 向こう3軒両隣の道路を掃除しなさい。
3、 町で出会った人には挨拶をしなさい。
2、 向こう3軒両隣の道路を掃除しなさい。
3、 町で出会った人には挨拶をしなさい。
我が家で人の情報交換はしても、自分たちは何をするべきか、何ができるかの話い合いだった。
この町の長寿会で、姑の逸話が残っている。在るとき、長寿会の会合終了時、ある人が人の噂話を始めた。姑はその時、静かに「おやめなさい。」と云ったそうだ。
今も姑を知る地域の方から、「川上節子さんの家のお嫁さんの川上道子さん。」と呼ばれる由縁だ。
「町の暮らし方ルール」、自分が力になれない人の情報交換はしないこと。
今も姑を知る地域の方から、「川上節子さんの家のお嫁さんの川上道子さん。」と呼ばれる由縁だ。
「町の暮らし方ルール」、自分が力になれない人の情報交換はしないこと。
本題
ということを踏まえ今年度は
昨年、町の中心、愛甲原ショッピングセンター駐輪場の壁面に『「支えあい宣言」支え合う町づくりに参加します。』と書き、団体を募り賛同していただいた団体を壁面アートの地図の中に描いたことを実行する年に致します。
昨年、町の中心、愛甲原ショッピングセンター駐輪場の壁面に『「支えあい宣言」支え合う町づくりに参加します。』と書き、団体を募り賛同していただいた団体を壁面アートの地図の中に描いたことを実行する年に致します。
目的
地域住民が世代を超え繋がり支えあう「支えあい宣言」を実行する。
視点・・散歩・徘徊フリー 子どもの安全を守る仕組みの検討
地域にあった支え合いの検討
地域住民が世代を超え繋がり支えあう「支えあい宣言」を実行する。
視点・・散歩・徘徊フリー 子どもの安全を守る仕組みの検討
地域にあった支え合いの検討
最期まで暮らしたくなる町
最期まで暮らせる町の仕組みを創り上げたいものです。
最期まで暮らせる町の仕組みを創り上げたいものです。
希薄になった人のつながり
2015-05-09
2010年(平成22年)頃から世代交代が進み「デイ愛甲原」利用者は住民の比率が少なくなっていきました。
「つながりより、自分らしく。」が大切な世代。
孤立する一人暮らしの男性など、高齢の男性たちの集いの場が必要と次の課題も見えてきました。
「つながりより、自分らしく。」が大切な世代。
孤立する一人暮らしの男性など、高齢の男性たちの集いの場が必要と次の課題も見えてきました。
もう一度、人々をつなぎ始める
2012年(平成13年)デイ愛甲原の大家さんから隣の電気屋さんが店を閉めると情報が入りました。町の中心地、立地条件をみて高齢者のみの施設にせず、世代を超えて住民の出会う場。私には地域コミュニティの発信場所として無限の可能性を感じました。
そこで、課題の男性が通いたくなる「短時間デイサービス」と、世代を超えて人々が出会う「コミュニティスペース」を始めました。
地域住民に施設名・欲しいプログラムのアンケートを取り、住民の声を反映させ施設名「CoCoてらす」と「コミュニティスペースCoCoてらす」とし
「CoCoてらす」では午前中、短時間デイを、午後からのコミュニティスペースCoCoてらすとなりました。
「CoCoてらす」では午前中、短時間デイを、午後からのコミュニティスペースCoCoてらすとなりました。
コミュニティスペース「CoCoてらす」プログラム
月 映画
火 初級健康麻雀
木 カラオケ
金 中上級健康麻雀
土 午前 子どもアート教室 午後 思いっきり麻雀
月 映画
火 初級健康麻雀
木 カラオケ
金 中上級健康麻雀
土 午前 子どもアート教室 午後 思いっきり麻雀
コミュニティスペースには地域のボランティアさんの協力をいただけました。
短時間デイサービスはニーズを把握できず錯綜しいったん中止。
認知症になっても散歩フリー(徘徊フリー)の町を目指して
2013年、東海大学・湘北短期大学のお力を得、「CoCoてらす」を拠点に東海大学建築学科の学生、湘北短期大学情報コミュニティ学科の学生「CoCoてらし隊」を結成し、人と人をつなぐ活動が始まりました。
はじめに「春のおもてなし」でお茶会・「ミニトマト隊」・「CoCoカフェ」
2014年8月には愛甲原ショッピングセンターの壁面アートを作成。町の地図も描き「支えあい宣言」と明記し、支えあい宣言に協力する学校を始め商店、行政などが描きました。
支え合いメンバーは行方不明の放送が流れると家やお店から一歩外に出て、安否の確認をする。
また壁面には200人「手のひらの花」を咲かせ、動物7匹の参加で連帯感☆
はじめに「春のおもてなし」でお茶会・「ミニトマト隊」・「CoCoカフェ」
2014年8月には愛甲原ショッピングセンターの壁面アートを作成。町の地図も描き「支えあい宣言」と明記し、支えあい宣言に協力する学校を始め商店、行政などが描きました。
支え合いメンバーは行方不明の放送が流れると家やお店から一歩外に出て、安否の確認をする。
また壁面には200人「手のひらの花」を咲かせ、動物7匹の参加で連帯感☆
2014年9月からは認知症になっても「散歩フリー・徘徊フリーの町」に共感した男性たちによる第2弾町づくり勉強会を始めました。そして出来たのが「CoCoいきましょ会」。
若い世代の「CoCoてらし隊」&50歳以上の「CoCoいきましょ会」そして高齢者が地域という場で融合・攪拌し発酵する。
若い世代の「CoCoてらし隊」&50歳以上の「CoCoいきましょ会」そして高齢者が地域という場で融合・攪拌し発酵する。
先人たちが終の棲家として描いた町に、次世代の私たちは、「未来にどんな街が残せるか」・「どのように支えあったか」を綴っていきたいと思います。