理事長ブログ
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2025年度振り返る 縁は最強の生きる力・希望・喜び

画面の向こうから「絵里ちゃん?!」
画面左側に写る高齢女性
28年ほど前から、福祉の町づくり勉強会・
ミニサロン・デイ愛甲原・風の丘を伴に創り上げてきたI様。現在は故郷 新潟県長岡にある介護施設に暮らされている。
その施設で
「年に一度あなたの願いを叶えます。」という企画があり、
I様「風の丘に皆さんに会いたい♡」と言ってくださり、実現した。
画面右には施設長・地域の友人達
そして
今年も先人達の願いを引き継ぎます。
愛のまちフェス2025
☆☆☆
命と平和の「津崎さんの鞄」
命と平和の「津崎さんの鞄」
9月22日 津崎様の鞄が CoCoてらすに届いた☆
37年前から始まったこの地域を支える原点「伊勢原ホームサービス」。そのメンバーが津崎様より頂いていた鞄。
第2次世界大戦時、国家公務員として満州で新婚時代を過ごされた津崎夫妻。私たちに「敗戦時 満州で門番や使用人だった方々が優しく接してくださったお陰で日本に帰ることができた。」とよく話してくださっていた。
夫の津崎稔様について
職場の同僚が法務省の広報誌に以下の文を投稿されていた。
「私の親友 津崎稔さんは、遂に昭和59年4月5日この世を去った。・・・・
・・・津崎さんは頭脳明晰で雄弁、表現力に富み、会議などの時、その発言は重きをなしていた。又、酒を好んだが酒に呑まれることはなく、酔って他人に礼を失する様なことは決してなかった。或る人は彼を礼節の人と評し、又、或る人は彼を信念の人と評していたが、・・・故に彼は上司や同僚、部下からの信頼が厚かったのである。
・・・・・津崎さんは役所を辞めた後にも、その真価を遺憾なく発揮して、地域住民から感謝と尊敬を集めている事柄がある。
それは昭和48年4月、彼が推されて愛甲原住宅会長に就任し、2期2年間に成し遂げた成果である。愛甲原住宅自治会は、国家公務員共済組合連合会が神奈川県伊勢原市と厚木市に跨り造成した、(昭和40年造成、分譲開始41年、自治会結成43年)960戸の集団であるが、当時この地域内には、連合会所有に属する公園予定地や、半端な土地が残っていて、荒れるが儘に放置されていた。・・直ちに連合会に交渉、この土地を伊勢原、厚木両市に寄附してもらい、更に両市を説得して、この空地に児童遊園その他しての施設をさせることに成功した。その後・・・児童館の建設や、60基の防犯灯及び主要道路にガードレール取り付けを実現させたのである。・・終わり」
奥様の津崎能子様
「信頼できる人と 住み慣れた町で最後まで暮らしたいの・・」
との思いでご自宅の土地を譲ってくださり、風の丘が設立された。
能子様が肺の疾患で入院されたときには拘束されないようにと、この鞄を受け取った方を含むホームサービスの仲間達で交代しながら看護をした。
愛甲原住宅・周辺がこれからも
「生まれてから命閉じるまで生きる力 希望 喜び の町」
となるよう次世代につなげていく。
「命の鞄 平和の鞄」は未来へのバトンです。
はじめに
今年度もどうぞ宜しくお願い致します。
特定非営利活動法人一期一会
理事長 川上道子
津崎記念日によせて
「この地で信頼できる人たちと暮らし続けたい」
「風の丘」の土地を寄付して下さった津崎(つざき)能子(よしこ)さんは、大正6年生まれ。71歳の時、お子さんがなく、夫を既に亡くし一人暮らしをしていた能子さんは自宅の電球を取り換えようとして脚立から落ち、人の支えがない
生活ができなくなりました。
そこで地域で家事援助「伊勢原ホームサービス」をしていた私たちと出会いました。それから17年、88歳となり「自宅ではもう一人で暮らせない、どこか老人ホームを探したい。」と川上と探し始めましたが決断が着きませんでした。
そして
「遠くの親戚より近くの他人」
「この土地をあなたにあげるから私を暮らせるようにして」
「この地で信頼できる人たちと暮らし続けたいのよ」
能子さんは2007年2月17日天国に旅立たれました。
津崎能子様の思いをつなぐため、今年も津崎記念日を開催いたします。
風の丘を建てるにあたり、地域の皆様・この活動に共感して下さった人々から資金1億6千2百11万円を寄付、貸付をして頂きました。
NPO法人一期一会 理事長 川上道子
I LOVE YOU LOVE あいこうはらソング
こどものえがおは キラキラ~
こんにちは~こんばんは~
おひさまニコニコ わらうよ~
みんなであいさつ交わそう
ありがとう~おかえりなさ~い
NPO法人一期一会のある愛甲原住宅は、この歌詞の通り、桜が町のいたるところに植えられ、住民は挨拶を交わす街です。
1966年、国家公務員共済組合の分譲地として「愛甲原住宅」ができて今年で51年。
最初に暮らし始めた皆さまが、この街を終の棲家とする為、協力して街を創り、支え合いを大切にしてきた街です。
そのため、それぞれの時代の生活ニーズに対応し住民自らがその問題解決に主体的に取り組んできました。
時が過ぎ
100年後、この街は変わらず挨拶が交わされ、心の中に「困った時には互いに支え合うよ。」という思いが灯り続けられ、生まれてから最期まで暮らし心地のよい町であるように。
かぜのおかぞく

昨年、風の丘入居者の方から「投下された日や終戦記念日には黙とうを捧げたい」(風の丘ではちょうど、朝食と重なる時間の為)と伝えられたことを思いだして私は朝7時45分に風の丘に走った。
中国からは「団地・ニュータウンで生き切るために」中国や日本のまちづくり研究者の皆様へプレゼン。
「高齢者の尊厳ある生き方を支えるコミュニティづくり」の視点で北京からの視察団を受ける。
先日の第10回リレー講座講師の方の「リレー講座を終えて」の文のなかに、「君の意見には賛成できないが、君がその意見を言う権利は命に換えてでも守る」と先人からと教えられたと書かれていた。(当法人HPの地域福祉・CoCoいきましょ会ブログをご覧ください)本日、リオオリンピック開会式で「多様性を喜ぶ」と宣言の中の言葉がテレビから流れた。



















