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特定非営利活動法人 一期一会
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理事長ブログ

理事長のブログ

令和元年を振り返って

2019-12-20
ゆるやかに つながる まち くらし
 
今年は事故、災害の多い年でした。
私は名古屋市港区南陽町小賀須で生まれ育った。
小学2年生の1959年(昭和34年)9月26日 夜
伊勢湾台風が名古屋を直撃した。
実家は新川の堤防沿いで履物店を営み
住まいは堤防下、海抜0m地点の平屋で暮らしていた。
26日午後から風雨が強まり、父と上の兄は履物店を守り
自宅には母、2番目の兄、姉、私がいた。
自宅は夜になると猛烈な強風で雨戸がしなり、家中雨漏り
母、兄、姉は雨戸を必死に抑えて
私は雨漏り対応、茶わんなど並べて少し楽しんでいた。
 突然、サイレンが鳴り響いた。
そのうち玄関がドンドン。「堤防が!すぐに避難。外に出て!」
玄関に降りると、すでに私の腿あたりまで水が入っていた。
何とか外に出ると、顔見知りのおじさんたち(地域の消防団)が「ロープにつかまって!!」
母は私を抱え、兄、姉とロープに必死につかまり、近所の大きな2階屋に避難した。。
その家の2階で一夜を明かし命が救われた。
その後、私達は戦後初めて疎開した子供達と言われ、小賀須地区の小学生とあまり動けなくなったお年寄りと一緒に名古屋市千種区田代小学校講堂で1ヵ月の疎開生活を経験した。
 
つい最近まで疎開先の見知らぬ人からおにぎりやお金を渡されるなどの善意を素直に受けとれず、偽善者!との思いが心を支配していた。
今年11月10日、東日本震災復興の活動をされている東北工業大学の新井信幸先生から活動報告を伺う機会があり、その中で「津波被害に遭われた方々がバラバラの場所に避難したのち、同じ地域の方々と暮らす機会が持てた時はほっとした。」という話を聞いた
『私もそうだった!伊勢湾台風で疎開した小学校の講堂。一緒の小学校に通った近所の友達、面倒見てくれた先輩。みんな。そして友達のお祖母ちゃんと同じ場所で暮らすことが出来た時はほっとした。』 その場がどんなに安心できたのかに気づいたのです。
そして 顔見知りの近所のおばさんからおにぎりを頂いたなら、もっと違う感想を持てたに違いない。
しなやかに つながる まち くらし
「信頼できる人と 住み慣れた町で最後まで暮らし続けたい。」
 
津崎能子様の言葉が胸にしみいる。
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